「猪木」という生き方に迫る本書
数日前、アントニオ猪木が青森に墓を建立したというニュースがありました。思えば2017年には両国国技館にて『アントニオ猪木生前葬』なる格闘技イベントが開催されており、公式YouTubeチャンネルは『最後の闘魂』というチャンネル名だったりと、まさに人生のINOKI-FINAL COUNTDOWNといった様相を呈しております。
おっと、語尾が辻よしなり口調になってしまいました。今回は、定期的に暴露系プロレス本を出版している宝島社から2019年11月に発売されました、『猪木伝説の真相 天才レスラーの生涯』を紹介します。
本書は暴露本ではなく、アントニオ猪木にゆかりある、弟子・後輩・ライバルなどの語り下ろしインタビュー集です。また、猪木氏本人のインタビューも含め、本人の魅力に迫っています。
アントニオ猪木の功罪
2022年現在において、格闘技とプロレスのを一緒くたに混同して語る人は少ないとおもいます。格闘技とは競技であり勝負の世界であって、プロレスとは興行でありエンターテインメント産業です。
2002年当時も構造は同じ。その時と比べて、格闘技やプロレスの本質が何か変わったかというとそんなことはない。ただファンのとらえ方や世間の理解が至っておらず、同様に業界の覚悟も足らなかったんだろうと回想します。
プロレスと格闘技のボーダーラインがあいまいで、ともすればプロレスも格闘技も闘いであるから同じであるという発想。おそらく、日本独特のこの発想が日本に浸透したこと自体は、紛れもなくアントニオ猪木の功績だろうと思うし、また功罪でもあると思うのです。
2002年のアントニオ猪木
2002年、新日本プロレスのオーナーである猪木氏の介入によって、新日本プロレスの選手が総合格闘技のリングに駆り出され、新日本プロレスが格闘技化し始めます(実際に新日本プロレス内で総合格闘技の試合が行われることになります)。その流れに反発したスター選手である武藤敬司たちがライバル団体に移籍。2022年2月札幌で起きたいわゆる「猪木問答」に繋がっていきます。
本音を言うと、私は当時のアントニオ猪木が憎かった。我が子である新日本プロレスという家庭がある中で、PRIDEやK-1と関わったりしてプロレスをボロボロにしていったからです。誰もアントニオ猪木には逆らえない。いろいろと揶揄されることが多いですが、永田裕志は立派に散っていったと思っています。
新日本プロレスはその後、いろいろな流れがあって脱・猪木に成功し、純然たるプロレス団体に生まれ変わりました。「闘い」であることを基本にしつつも、プロレス内での強さやうまさを競うバトルエンターテインメントに昇華されました。エンターテインメントなので、結末の納得感が得やすいし、買ったチケットに対する満足度はとても高い。誤解を恐れずに言えば、宝塚歌劇団やシルクドソレイユを観に行く感覚に近くなっているのでは、と思っています。
名レスラーが語る猪木論
ただ、です。
アントニオ猪木が放った”猪木イズム”と呼ばれる生き方には、強烈な魅力があるのもまた事実。プロレスラー・格闘家・実業家・夢追人、そして人間・猪木寛至。本書は猪木氏に関わった人たちから様々な角度の証言を得て、史上最高のプロレラーであるアントニオ猪木に迫ります。
証言者は以下の通りです。
- 直径の弟子である、前田日明/佐山聡/藤波辰爾/藤原喜明
- 孫弟子世代にあたる、蝶野正洋/武藤敬司/藤田和之
- 猪木氏の若手時代を知る同世代、グレート小鹿/北沢幹之
- 他団体の敵対相手、天龍源一郎/大仁田厚
- ビジネスパートナー、石井和義/サイモン猪木
- そして、アントニオ猪木本人
それぞれの視点でレスラー・猪木に迫った証言が得られています。唯一、足りないピースは長州力ぐらいでしょうか。
それぞれの関係者から当事者たちのエピソードが語られますが、かなりアングルの内幕に迫りつつも、ケーフェイ(プロレス内の秘密)は守っているという印象。表舞台で活躍する関係者がほとんどですから、この辺りは暴露度合いも限界があります。とはいえ、かなり踏み込んで語っているなという印象です。当たり障りのないエピソードトークに終始せず、かなり核心を突いた話題が多いなと感じました。
例えば、『第一回IWGP決勝VSハルクホーガン戦の舌出し失神事件』について引用します。
正直にいえば、あの時怒った人たち、騒いだ人たち、文句を言っていた人たちもけっこう満足してるんだよね。あんなことはとんでもない!と。たしかにとんでもないことには違いないけど、社会全体の怒りはいつの時代もあって、何かに押さえつけられてるだけにすぎないという。
第1章 プロレス界「最大の謎」を猪木本人に問う!よりアントニオ猪木の証言
猪木さんが舌を出して動かなくなった瞬間は、「あっ、まずい!」と思ったんだけど、そこで一応みんなの反応を見たんだよね。そしたら藤原さんだけが「またやってるな」っていう顔をしてたから「あっ、そうなんだ」と思って。だけどまあ、若手なりに慌てたふりをしてね。試合後に会場内で選手全員が集まって話をしたんだよね。その場に猪木さんもいたような気がするんだけど、ちょっと記憶が曖昧だね。
(中略)
坂口さんが翌日、猪木さんにだまされたといって”人間不信”と書いたメモを事務所の机に置いて出ていったという話も聞いたけどさ、その会場でみんなで集まって話をしていた時に坂口さんもいたからね。だからあのオッサンも頭が悪いなりに周囲に対して演技してるんだよ。
第2章 猪木・最盛期 昭和の弟子たち 証言前田日明
こんな具合に、関係者から様々な証言が飛び出します。
よほどプロレス本を読んでいない限りは、初出の情報が多いと思います。
とりわけサイモン猪木氏の証言は面白い。なかなか語られることがない、新日本プロレス暗黒期及びイノキゲノムフェデレーション(IGF)のエピソードはかなり貴重ではないでしょうか。
アントニオ猪木の魅力を再認識
先の通り、私はアントニオ猪木が憎かった。ただ、新日本プロレスが脱・猪木を果たし、プロレス団体としてエンターテインメント化を進め成功を収めたなかで、改めて”異色のレスラー”・猪木を考えました。
猪木氏は反骨のカリスマだったのではないでしょうか。若くして家族でブラジルに移住し、コーヒー農園で肉体労働に従事、日本人としてのプライドがあっただろうと想像します。
また、縁があって力道山に拾われて日本に帰国しましたが、日本プロレス時代にはジャイアント馬場というスター選手と張り合うことになりました。
独立後も、有名外国人が多数参戦する華やかな全日本プロレスにと比較すると、地味な新日本プロレスという構図の中で、闘いを中心としたストロングスタイルで対抗していく。
プロレスは八百長だと言ってきかない視聴者と戦うために、異種格闘技戦を展開、とりわけモハメドアリとは正真正銘の真剣勝負を行い、また北朝鮮大会など世間を驚かせる仕掛けを打っていく。
引退後はプロレス界を代表して、総合格闘技とも対峙していきました。
アントンハイセル事業や永久電池などのビジネスも含めて、常にアントニオ猪木の相手は巨大な世間であり、そのベースになるものは反骨心だったのではないか、と感じています。
アントニオ猪木という生き方
猪木氏本人の証言では、”繋げなかった”という言葉が何度か登場します。晩年の猪木氏の仕掛けは後輩に”繋ぐ”ためだったんでしょう。だけど理解して行動できる側近がいなかった。いや、理解はしても行動に移せなかった。猪木イズムという生き方はアントニオ猪木にしかできませんし、それがカリスマたる所以でしょう。カリスマは後進を育てることはできても、繋ぐことはできないのだろうと、大仁田厚の例をみても同様だと思っています。
やや逆説的になりますが、アントニオ猪木という生き方は、アントニオ猪木にしかできなかったということでしょう。
裏切った者でも受け入れる
そんなアントニオ猪木の元を去ったレスラーは数を知れませんが、集合離散を繰り返します。不思議とまた集まってくるのです。それを受け入れる猪木氏の度量の広さ。この”許す”エピソードは各人が多く語っています。考えれば、長州力はジャパンプロレス時代と、2000年代の新日本プロレス時代、2度にわたって猪木氏と袂を分けましたが、今でも「会長」と呼び師弟関係は続いているようですし、裏切った人間を受け入れる度量というのも、多くの人を虜にする猪木氏の魅力なのでしょう。
最後に
プロレスと格闘技のボーダーラインがはっきりと引かれている今こそ、レスラー・アントニオ猪木を改めて再考する時代がやってきているのだと、本書を読んでそう感じました。
アントニオ猪木に辟易したことがあるファンの方には、改めて猪木氏の魅力に迫ることができますので、ぜひ読んでみてほしい1冊です。
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