こんにちは!アツコアツオです。
今回は、全国の映画館でイベント上映されています『午前十時の映画祭13』のプログラムより、伊丹十三監督の『お葬式』を観てきましたので、紹介したいと思います!
『午前十時の映画祭』とは、もう一度スクリーンで観たい名作映画を、全国のスクリーンで上映するイベント企画です。
今年で13回目になるのですが、あまりご存じない方もいらっしゃるのではないでしょうか?
今では”午前十時”にこだわらない時間帯で全国の映画館で上映しています。気になる上映作品があれば、早起きして見に行ってみることをオススメしますよ。料金も一般上映よりもちょっとだけですが安いですしね。
(私にとっては、最近のイケイケ映画よりも過去の名作を見ることの方が多いので、名画座での二本立て上映と共に、本イベント上映は結構重宝しています)
というわけで、今回は伊丹十三監督の『お葬式』を観てきました!
伊丹十三監督作品『お葬式』
伊丹十三の映画監督デビュー作である本作は、突然肉親の死に見舞われた俳優夫婦が、慌て戸惑いながらも、まわりの人々の助けを借りて無事に葬儀を終えるまでの3日間を描いた作品。
1983年9月、妻・宮本信子の父親が亡くなった際、葬儀を主宰した伊丹は「これは映画だ。映画になる」と言ったという。喪に服した翌年の正月に脚本を書き上げ、半年後の6月にはクランクイン。湯河原・伊丹邸で撮影を行って完成した作品は、お葬式を悲劇としてではなく、人間喜劇として描いているものだった。しかもそれは、実に映画的な細部の積み重ねによって構成された、映画らしい映画だったのである。
51歳の新人監督は、大きな拍手をもって迎えられた。
伊丹十三記念館 作品解説より引用
『午前十時の映画祭』公式YouTubeチャンネルで作品解説していますので、よろしければどうぞ!
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葬式を出す時きっと役に立つ
この映画、一言でいうと「昭和の葬式ドキュメンタリー」ではないでしょうか。
最近は葬儀はメモリアルホールなどで執り行うことが多いような気がしますが、自分の家で葬式を出そうとしたときに、どんな手順で進めていかなければならないのか、非常にタメになります(笑)
私は喪主の経験はないのですが、親類の不幸があったときに亡くなってから葬式が終るまで同席していた経験があって。その時はメモリアルホール的な斎場の方がすべて仕切ってくれましたから、自宅でやるとなると相当大変なんだ…、と意図せず勉強になりました(笑)
劇中に義理の父親(以後じーさんとします)の葬式を出すことになった山崎努が、葬式対応マニュアルのようなビデオをみて学習するシーンがあるのですが、そもそもこの映画自体が<人が亡くなってから葬儀を終えるまで>をフルパッケージで学べるドキュメンタリーになっていますね。
まあ、この映画の本質はそこではないと思いますので、印象的だったポイントをいくつか紹介しましょう。
葬儀中の喜怒哀楽を見事に表現
一連の葬儀イベントとそれにかかわる人たちをフルパッケージで描いていますが、実際の葬儀中ってけっこう喜怒哀楽が激しく変動したりしますよね。
故人を思えば当然悲しいんだけど、とはいえ家族は儀式を執り行うために時間や気持ちなど色んな面で余裕がなかったりします。泣いているヒマなんてないというか。
でもって、葬儀には故人にゆかりがある色んな人が集まってきたり、また思い出話に花が咲いたりして、時にはワーっと盛り上がったり、笑ってしまうこともある。
亡くなったじーさんの娘である宮本信子は、ただでさえ女優業という日ごろの忙殺状況であるのに、急にじーさんが亡くなって葬儀イベントをやらないといけなくなったもんだから、急すぎてとにかくすべてに余裕がないまま時間が進行していきます。時間がなさ過ぎて、マネージャーとカーチェイスのように並走してサンドウィッチを受け渡しする始末(笑)んなアホな!
遺体を前にしても、なんか蝋人形でもみてるみたいに死んでしまったという現実が感じられないでいまますし、「あー死んだらこんなふうになるのか」っていうような、妙な冷静さがあったりする。
通夜では老人会や近所の連中がやってきて、酒盛りでどんちゃん騒ぎで盛り上がる。
一変、変わり者だけど人情者の尾藤イサオだけが通夜にじーさんの顔をみて泣き出すシーンでは、つられるように宮本信子がワーっと泣くんですが、この辺りは詳しい説明なしに、登場人物の感情の機微をうまく表現している素晴らしいシーンでした。
冷静沈着なとき、久しぶりに会う親族や級友たちとワーッと盛り上がるとき、亡くなったことを実感して急にかなしくなってくるとき。葬儀中にたくさんの感情が押し寄せる様を見事に描き切っているなあと感じました。
ジャンルはコメディでしょう
この映画は「葬式ドキュメンタリー」でありつつ、文化的な葬儀という儀式とそれに振り回される人々を皮肉ったコメディーでもありますよね。
どこで納棺するかしないかとか、北枕はどうだあーだと”葬式”にこだわるじーさんの兄:大滝秀治のキャラはすでにギャグですし、病院への支払いが妙に安いとか、お棺の値段はいくらだとか、坊さんへのお布施の世間相場はいくらかとか、金銭的なオカシサもコミカルに描いています。
じーさんが焼き場で焼かれるシーンがあるのですが、家族が裏口の小窓から覗いて、じーさんが焼かれる様子を物珍しくみながらワイワイ盛り上がるっていうのも、可笑しくもありリアリティがありました。
それから、焼き場の担当者が「怖~い話」に見立てて語るシーンはめちゃめちゃ面白かったです。焼き場のオッサンがそんな不謹慎なこと言うかね!っていう(笑)
映画はもっと気楽に観てもいい
この映画を観終わって、「映画は頭をフル回転させて観る映画だけじゃないな」と反省させられました。というのも、映画でもなんでも昨今のストーリーモノにおける伏線回収的な要素に構え過ぎているな、気づいちゃったんですよ。
この映画はストーリー上で重要な伏線やフリなどはまったく考えなくて良い!
例えば、じーさんが死んだという電話を受けた宮本信子が、電話越しに「遺言はあったの?」と聞いたので、私はてっきり劇中で遺産相続とかで揉めるのかな?と思ったんですね。だけどそんな描写は一切ありませんでしたし。
また、坊さんへのお布施相場を葬儀ブローカーの江戸屋猫八に相談するシーン。金額に対して、なんか答えにくそうにしてたんですよ。で、結局せっつかれて「20万ぐらいどうですか」って答えるシーンがあるんですが…。
そのあと、葬式が終って家族が坊さんにお布施を渡した直後、猫八が坊さんに「ちょっと」と呼び止めたもんだから、私は「ああ、坊さんから袖の下をもらうつもりだ!」と想像したんですがね…。バルコニーにあるタイル彫刻のテーブルが素晴らしい!という話のために呼び止めただけだったという(笑)話の本筋に全然関係ない!
それから、じーさんの娘である宮本信子の旦那・山崎努の愛人が葬儀の手伝いと称して家にやってくるんですが、のちにちょっとしたシーンに展開するものの、愛人との関係が宮本信子にバレて大立ち回りに…といった流れもありませんでした。
この映画は、特に何も起きません。
ドタバタコメディでもなければ、観終わった後なにかカタルシスを得たり、嫌な気持ちになる映画でもありません。
少し癖があったりキャラが濃いヘンな人たちがたくさん登場しますが、誰も悪人などいなく、登場人物それぞれの、日常の3日間を切り取っただけの(ここはあえて”だけ”とさせてもらう)、死という題材を扱ったホンワカムービーなんだろうと思いました。
そして、映画は肩肘張ったり頭を回転させなくても、目の前にある世界を見ているだけで楽しいものなんだと再認識させられました。
映画で描かれる役者のセリフや演技がすべてストーリーに影響しなくたっていいんですよね。
登場人物それぞれの人生が少しだけ垣間見えて、そして今日も1日が無事に終わっていく。それもまた映画の面白さなんでしょう。
伊丹十三監督の性描写
お待たせしました!お待たせしすぎたのかもしれません!
伊丹十三監督作品といえば、どぎついエロシーン!
エロビデオのそれとは違って、生々しさやいやらしさにこだわっている(?)ラッキースケベのレベルをはるかに超えたエロシーン。本作もきつめのエロ描写があります。
さっき少し触れましたが、葬儀場である自宅に山崎努の関係者が手伝いと称してやってくるシーン。登場した瞬間、山崎努が妙にソワソワし始めるので「なにかあるな」と思ったんですが…。
どうやら愛人だったようで、突然同行者(青木)に対してヒステリー気味に怒り出します。やれやれと思った山崎努は、青木と愛人を外に連れ出してなだめようとしますが、愛人はなかなか納得しない。「私は愛してくれないの?」と承認欲求丸出しで迫ってくる。
山崎努は義理の父親であるじーさんの葬式を穏便に済ませたいため、愛人に騒いでほしくないわけです。なんだったらとっとと帰ってほしい。
そんなわかりきっていることを逆手にとって、愛人は帰れというなら今ここで抱いて!と迫り、山崎努との青姦に突入します…。
愛人は高瀬奈々が演じているのですが、メガネをかけていてかなりムッチリ体型。はち切れそうな喪服っぽいワンピースのまま、やおらパンツを全部ずりおろし、ボデっとした臀部が丸出しになります…。
当然大事なところは映りませんが、それ以外下半身は丸裸です!
女優の演技と演出・撮影手法でここまでエロくなる!ことは感心するばかり…。
いなくなった山崎努を待つ宮本信子。自宅にある釣鐘のように揺れる木製のブランコに乗って、ズイズイと横に揺れている様は、山崎努の後背位の強烈なメタファーになっていて笑えます。
本作のエロ描写においては、人間が死んであの世へ送り出す儀式の最中に、不貞者同士が真昼間から青空の下で生命の営みをやっている背徳感が可笑しいです。
まああんなに生々しく描く必要があるのか?!という理由はわかりませんが(笑)好きな方にとってはある種のお楽しみポイントであるのは間違いないでしょう。
ATGらしさも少しある
この作品はATG配給のわりに、シナリオ全体ではあまりATGっぽさがない(今回4K映像で見たから印象が違うというのは多分にある)のですが、劇中で撮影した映像を編集したビデオが流れる演出があって、その映像に感動してしまいました。私が勝手に思い込んでいるATGっぽさというか、寺山修司っぽさというか。
山崎努の事務所関係者である青木という男が例の愛人とやってきます。せっかくなんで撮影しときますってノリで、日中の葬式の準備をカメラを回して撮ってるんですが、お通夜の前ぐらいのタイミングで「葬式の準備」なんていうタイトルで、画面が切り替わって急に短編映像が始まります。
親族の子供がスイカのお化けみたいなお面を付けて、スケッチブックにセリフを書いていて。
白黒・無声で撮影された葬式の準備をする親族たちですが、とりわけ女性陣は笑顔で生き生きと笑い合っているのが平和的でもありエネルギッシュでもある。
また子供たちは焼香の練習したりしていて、子供にとっては不思議な世界であろう、死という現実と葬式という妙な体験をユーモラスに映し出します。
無声の中で流れているのはパッヘルベルのKanon…。エヴァンゲリオン以降、私はこのKanonに弱いんです(笑)
さっきの青木が撮影した映像を自分で編集して仕上げた、というテイの短編なんでしょうけどこの映像はエモい!
自分が子供時代の親戚の集まりみたいな原風景を思い出させてくれて、ググっとこみ上げるものがありました。
最後に
伊丹十三監督作品は、最近はテレビ放映もなく、サブスク系にもラインナップされていないようですので、観る機会は少ないかもしれません。
ですが、80年~90年にかけて一時代を築いた忘れることができない監督であり作品群ですので、『午前十時の映画祭』のようなイベント上映などをきっかけに、是非見てほしいなと思います。
次回は同じく『午前十時の映画祭』で上映される『マルサの女』を観に行く予定ですので、また遊びに来てくださいね!
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