新日本プロレスワールド【NJPW今日は何の日】2003年12月9日:衝撃の戴冠!天山VS中邑のIWGPヘビー級選手権!

こんにちは。野良プロレスコラムニストのアツコアツオです。

金曜日は闘いのワンダーランド!

毎週金曜日にお届けする『NJPW今日は何の日』のコーナーです。

新日本プロレスワールドのアーカイブにある過去の試合から、アツコアツオが独断と偏見で選んだ1試合をご紹介したいと思います!

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12月9日は何の日?

今回は2003年12月9日、大阪府立体育会館で行われたこの試合をテーマに考えてみることにしましょう!

その年のG1クライマックスを制覇し、前王者の高山善廣を破りIWGPを奪取した天山広吉が、時期挑戦者に中邑真輔を指名した選手権試合です。

スーパールーキー中邑真輔が衝撃のIWGP戴冠

どんな試合だったのか、振り返っていきましょう。

スーパールーキーデビュー

中邑は青山学院大学出身でアマレスの実績があり、新日本プロレスに入門する前に総合格闘技のジムに通っていたこともあって破格の扱いでデビューし、その後もシンデレラストーリーを歩むことになりました。

他の選手たちと同じように新日本プロレスの入門テストを受験し合格するも、ヤングライオンとしての扱いを受けることなく、2002年に日本武道館のVS安田忠夫でデビューしました。試合は惜しくも敗れたものの、新人のデビュー戦レベルではなく、ジャーマンスープレックスまで繰り出し奮闘。早くも格闘系プロレスラーとして”懐刀”の片鱗を見せてくれました。

その後、プロレス巡業に参加することなく、対格闘技要因として新日本プロレス/ロス道場へ出稽古に出て、新日本プロレスの若手レスラーという括りではない活躍をみせました。大晦日には早くも総合格闘技デビューを果たし、当時あまり名が知られていないとはいえ、”因縁ある”グレイシー一族のダニエル・グレイシーと対戦。試合には惜しくも敗れたものの、MMAに対抗しうるプロレスラーとして戦い抜きました。

翌年は5月にK-1所属の巨漢ファイターであるヤン・ザ・ジャイアンント・ノルキヤとのMMA戦に快勝しました。その後は巡業にも参加し、若手プロレスラーとしてのキャリアをスタートさせ、夏のG1クライマックスにも出場。

秋の東京ドーム大会では真猪木軍のメンバーとして新日本プロレス本隊とも対戦し、相変わらずヤングライオンとしての扱いは全く受けず、まさに”選ばれし神の子”という二つ名がふさわしい寵愛ぶりでした。

ノレないレスラーだった中邑

私は中邑真輔のデビュー戦からテレビや雑誌で追いかけていましたが、正直ノレなかったんですよね。当時の日本マット界を取り巻く環境において、MMAに対応できるからと猪木に重宝されているのがミエミエで、プロレスの試合にはめったに出ず特別待遇を受けていることは明らかでしたから。

それでいて、たまにプロレスの試合をやるとショッパイ。なのに最後はちゃんと勝ちを得るという。

俯瞰で考えると、プッシュされる側は相当しんどい状況だったとは思うんですがね。

でも、やっぱり興行としてのプロレスを観客視点でみると、時代の寵児たる選ばれし神の子が敷かれたレールに乗って、プロレスの試合には出ない&出たら関節技で勝つっていう状況は、頂けないよなあと感じてたんです。

”シングルプレイヤー”天山

対する天山は、盟友小島が全日本プロレスに移籍し、いよいよシングルプレイヤーとしてIWGPを視野に入れていた頃。

スランプ(アングルかな?)からG1クライマックスを制覇し、その後高山からIWGPを奪取。いよいよこれから天山政権を築いていくという矢先、中邑を指名する形でこの日の初防衛戦を迎えるのでした。

試合詳細

中邑はキャリア1年4か月の・23歳9か月でIWGPへの挑戦権を得ました。それまでの最年少挑戦記録は、奇しくも天山の23歳10か月というから、巡り合わせというにはおもしろいものです。

まずは中邑が鬼気迫る表情で入場曲「Moving city」に乗って入場。中邑の入場曲といえば「Subconssing」か「Rising sun」が印象強いですが、この若手時代の曲もかっこいいですね。

天山は安定の「TENZAN~時空~」で入場。この入場曲、20年以上変わってませんね。テンザンコールがしやすいミドルテンポな曲です。

そして、この頃の天山は脱スランプから例の髪型を変え、短髪に無精ひげと山男風のスタイル。私は例の髪型よりこの頃のビジュアルの方が好みだったりします(笑)

衝撃の逆十字

試合は終始天山ペース。ヘッドバット、モンゴリアンチョップ、フライングニールキックと得意技で攻めていきます。

中邑は反撃を試みるもつながった攻撃にはならず、耐える時間が長く続きます。天山のモーションが大きいチョップの隙をついて、足に絡みつき膝十字に捉え、得意の関節技を多用していきます。当時の必殺技であるシャイニングトライアングルも繰り出しますが決定打にはなりません

解説陣もなかなか豪華。山崎和夫「天山は守っちゃいけない、潰すつもりで攻めないと足元をすくわれる」、GKこと金沢克彦「もし中邑が取ればジャンボ鶴田の記録を大幅に塗り替える快挙」、当時現場監督だったと思われる蝶野正洋「中邑は度胸が据わっている、シャイニングトライアングルで決められなかったら厳しい」などと、中邑が勝つ可能性があることを触れながら盛り上げてくれます。

ゾロゾロとセコンド陣も増えてきます。中邑の同期である田口、山本(現ヨシタツ)や、後藤やブルーウルフ(懐かしー)、棚橋や吉江もやってきます。推移を見守っているというか、「まさか中邑が勝たないよな…」と思っているのか、複雑そうな表情にも見えます。

その後も天山が攻め続け、バックドロップ3連発や串刺しラリアットなどで攻め立てますが、天山が不用意に中邑をコーナーへ振ったときに、中邑はその手を取り下からの三角締め!

かなりヤバイ態勢…のけぞった天山の首から足のクラッチを外し、逆十字へ移行!

蝶野の「あああ、入っている」の声と同時に天山がギブアップ…。

中邑が史上最短&最年少で新日本プロレスの至宝を手に入れたのでした

飛び級とスーパー四面楚歌

天山からの勝利はオーナー猪木の差し金だったのか、新日本プロレスの売り出し計画だったのかはわかりません。

ただ、天山は脱したはずのスランプからエース路線にのることはできず、また中邑は実力行使でIWGPのベルトを奪取した、といえます。

この試合の背景は中邑真輔自伝に詳しいので、少し長くなりますが引用させてもらいます。

あのとき、俺のセコンドにはヤングライオンが総出でついたんですけど、ホントは誰もつきたくないわけですよ。だから、おそらく上の誰かから「おまえらつけよ、同期なんだから」みたいなことはいわれたんでしょうね。

(中略)だから、こういう頂点の目指し方もありでしょ?ってことですよ。ある種自分のなかでも、来るモノに対しては結果を出してきたっていう自負はありましたから。

(中略)レスラーは誰しも「俺が俺が」と思っているわけだから。どこかで「どうにかアイツを潰してやろう」っていう心づもりはあると思いますよ。それが実力でどうにかできないのであれば、もしかしたら政治的になるのかもしれないし。

(中略)やっぱり、俺からすれば「そんな口や態度に出さなくても」ってくらいに思ってましたから。ホント、スーパールーキー、スーパー四面楚歌って感じで。

(中略)まあ、だから余計に「中邑はチャンスを与えられている」っていう声もあったんでしょうけど、「その状況に耐えられる人間なんか、ほかにいなかったんだぜ?」とは思いますよ。

新日本プロレスブックス 中邑真輔自伝 キング・オブ・ストロングスタイル上巻 Chapter8より引用

同期やヤングライオンたちはもとより、先輩たちから嫉妬と羨望の眼で見られていた苦悩と、MMA出撃などによる自信をうかがわせる独白で、この自伝は相当おもしろいですよぉ~!(興奮したらターザン山本!口調)

中邑の変身、スーパースターへ

その後、中邑は2004年のアレクセイ・イグナショフ戦のMMA出撃を最後に、プロレス業一本にシフトしていきます。

新日本プロレスのメインストリームを歩み続けますが、いまいち観客の支持が得られない時期が続きました。格闘技で実績を残し飛び級的にエース格に据えられた中邑ですが、本業であるプロレスではキャリアが浅く、観客を満足させられる試合は少なかったかな。

蝶野率いるブラックニュージャパンに所属したり、ビルドアップ&増量してRISEを結成したり、アントニオ猪木に喧嘩を売ったりしたわけですが、真にファンから支持を得てプロレス的な成功をもたらしたのは、やはりCHAOSを結成してクネクネスタイルを確立してからでしょう。

元々芸術家肌だった中邑は、直近のメキシコ遠征から帰国し、マイケルジャクソン的ムーブ新必殺技ボマイェを引っ提げて八面六臂の大活躍を果たします。

ここから、入場とたたずまいだけで銭がとれるスーパースターになったんじゃないですかね。ロックスターやアーティストというニックネームが付いていたころもありますが、ファイターというよりアーティストという方がしっくりくるスタイルですよね、

中邑は新日本プロレスを飛び出し、業界最大の団体であるWWEで活躍中です。プロレスの強さで頭角を現しキャリアをスタートさせた中邑真輔が、世界最大級のエンターテインメントであるWWEを主戦場に戦っているというのも、逆説的でプロレスの面白さかもしれません。

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