新日本プロレスワールド【NJPW今日は何の日】1976年10月7日:格闘技世界一決定戦/猪木VSアンドレについて考える

こんにちは。野良プロレスコラムニストのアツコアツオです。

私は過去数年間、サービス開始からずーっと新日本プロレスワールド(サブスク型の動画配信サービス)に加入しているのですが、生中継以外のアーカイブを観る機会がまったくなくって。

まあ、お布施だと思って継続しているんですが、せっかくなんで過去の試合も観ていこう!ってことで今週から始まりました、毎週金曜日にお届けする『NJPW今日は何の日』のコーナーです。

金曜日は闘いのワンダーランド!ってことで、新日本プロレスワールドのアーカイブにある過去の試合から、アツコアツオが独断と偏見で選んだ1試合をご紹介したいと思います!

新日本プロレスワールドとは?

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10月7日は何の日?

追悼・アントニオ猪木も兼ねまして、今回は1976年10月7日、蔵前国技館で開催されたこの試合をテーマにしましょう。

追悼・アントニオ猪木

私、プロレスファン歴は長いのですが、40歳にも満たない若輩者でして。

プロレスへの目覚めが遅かったものですから、アントニオ猪木の試合を初めてみたのは、実は引退試合(ドン・フライ戦)だったりします。なので、私にとってのアントニオ猪木は、ファイター猪木よりもプロデューサー猪木の印象の方が強いんですよね。

UFOを作って(というと宇宙人みたいな表現になりますが…)新日本プロレスに牙をむいたり、新日本プロレスの選手を総合格闘技の試合に駆り出したり、大晦日の格闘技戦争で(いろんな意味で)やっちまったり、永久電気を開発したり…と、プロデューサー猪木のビジネスとしては、プロレス界に対する貢献という意味ではあまり良い印象を持っていないんです。

「猪木の子殺し」ともいうべきか、本来の自分のビジネスであるプロレスを追いやった、っていうイメージが強いんです。

ただ、アントニオ猪木のファイター時代の功績や行動から推察すると、実は一貫して「プロレスラーは強い」「プロレスを八百長だという世間との戦い」であることを主張し続けているのではないか、と思うのです。

そして、別に「プロレス」という枠組みの中で「ビジネス」をしていたわけではないんだろう、とも思っていて。すべては「夢を実現する」「世間をあっと驚かせる」ためであり、その手段であり方法論にすぎなんじゃないかと。

実はプロレスも言葉もキャッチ―

2000年代後半からは、プロレス・格闘技村の中ではあまり存在感がなかったように思うアントニオ猪木氏ですが、鬼籍に入った今、様々なメディアで氏の功績が振り返られることでしょう。

すでに雪解けしていた新日本プロレスとの関係からも、”アントニオ猪木がいかに偉大なレスラーだったか”が語られる機会も多くなるでしょう。

レスラー猪木の天才っぷりは誰も異論の余地はないでしょう。「ホウキとでもプロレスができる」とは、まさにレスラー猪木の才能を最も端的に表現しているたとえだと思いますね。

ストロングスタイルとか、異種格闘技とか、「闘い」を前面に押し出したプロレススタイルではありますが、かなりアメリカンプロレス寄りな側面もありますよね。

強さだけではなく、魅せることの天才であったことも間違いないでしょう。非常に観る者にとってわかり易い、キャッチーなプロレスだからこそ、70~80年代にあれだけの視聴率を稼ぎ世間を巻き込んだ一大ムーブメントを起こせたんじゃないでしょうか。

「元気があれば何でもできる」「迷わず行けよ、行けばわかるさ」などのストレートすぎる名言は、今の時代にものすごくマッチしていますよね。

YouTubeにある”最後のメッセージ”をみると、閉塞感を打ち破って明るく元気に行こうぜー!と、改めて自分を奮い立たせたくなりますね。

1976年のアントニオ猪木

1976年はファイター猪木にとって、また世界の総合格闘技において非常に重要な年です。なんといっても伝説の猪木・アリ戦を始め、金メダリストとの対戦や、ガチンコと言われているペールワン戦まで、おおよそフツーのプロレスラーでは経験しない、まさに異種格闘技戦をやってのけています。

  • 2月6日:柔道金メダリスト/ウィリアム・ルスカ戦
  • 6月26日:ボクシング世界王者/モハメド・アリ戦
  • 10月10日:パク・ソンナン戦 at 韓国/ソウル
  • 12月12日:アクラム・ペールワン戦 at パキスタン/カラチ

諸説あるものの、いろんな情報を整理した私なりの見解は下記の通りです。

ルスカ戦:夫人が病気になり大金が必要であったルスカのプロレスデビュー戦。
アリ戦:アリはショープロレスのつもりで来日、あくまでも猪木はガチンコを譲らず。マジでガチ。
パク戦:負けを拒んだ猪木が朴をリング上で制裁。
ペールワン戦:ペールワン側がプロレスを拒み、なくなくリアルファイトになり猪木ガチ勝利。

元新日本プロレスレフェリーのミスター高橋氏も著書で「アリ戦とペールワン戦はガチ」と明言しています。もちろん何が事実かはわかりませんが、もし事実だとしたら、リアルファイトを生き抜いた(少なくとも負けていない)レスラーだとはいえますよね。

この年のアントニオ猪木を取り巻く出来事は、柳澤健著『1976年のアントニオ猪木』が詳しいので、興味がある方は是非読んでみて下さい。

だいぶ遠回りになりましたが、今回テーマにする<猪木VSアンドレ>は、プロレスラーとしては異常な年に行われたプロレスの試合、ということになります。

試合内容

VSアンドレ同様、VSアリも格闘技世界一決定戦と銘打たれていますので、当時のプロレスと総合格闘技のボーダーがいかにあいまいだったかがわかりますね。今だったら「VSアンドレなんかアメプロやんけ!」とヤジが飛んできそうです。

近年のプロレス・格闘技ファンであれば、この試合を”格闘技”の視点で見ることはないでしょう。それだけ、プロレスと格闘技が”別のもの”と認識されている証拠でもありますよね。

この試合、両者とも互いに商品として傷をつけられない時期だったんだろうと想像しますが、アンドレが場外のコーナー鉄柱に誤爆したことによる流血で、セコンドのタオル投入により猪木のTKO勝ち。オリンピック金メダリストとの対戦や本当のリアルファイトに混ざって、こうした試合をこなしているんですから、猪木が描くプロレス観の幅の広さに脱帽ですね…。

以後もアンドレ戦はしばらく続きますが、完全勝利(腕固めによるギブアップ勝ち)は1986年6月、今回の試合の約10年後まで待たなければなりませんでした。

なんだか、試合の感想よりも前後の話題に終始してしまいましたが、今後も毎週金曜日に更新していきますので、どうぞお楽しみに!

編集:週刊プロレス
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