ここのところ名画座で2本立て映画を観る機会が多く、アナーキーでアーバンギャルドな70年代前後の日本映画を片っ端から観ていっています。
いやはや、なかなかに語る要素が多く、せっかくなのでブログでアウトプットしていこうと思ったものの、「何をどう書けば良いものか」悩んでおりました。
そんなときに見つけたのが、『映画評論・入門!』モルモット吉田著 です。
モルモット吉田氏が何者かよく分かっていないのですが、そこらの映画ミニコラムでたまに見かけていただけに、個人的には信頼に足る人だと勝手な親近感を持っており(なんてったってペンネームが良いじゃないですか)、本著を手に取ったわけです。
帯にもある通り、「読んでから観るか?観てから読むか?」は角川映画の秀逸なコピーですが、
観て・読んで・書け!さらに戦うことが正解!とのこと。
なるほど、観るだけでも書くだけでもなく、やはり意見を戦わせろ!ということですか。
映画を論ずるということ
結論から言っておきますと、本著において、映画の観方・映画の論じ方について触れている章はごくごく僅かでした。”映画をどう論ずるか”より、映画を論ずることの歴史にフォーカスした、映画関係者と論客たちの戦いの記録といた方がよいかもしれません。
そんな意味では、映画をどう語ればよいかや、著者の映画論などをもっと読みたかった。
がしかし、最後のあとがきまで読むと、妙に納得させられる文がありましたので引用します。
書名も『映画評論入門』ではなく『映画評論・入門!』でなければならなかった。映画評論の書き方を記した先行書はあるが、本書は映画評論を書く前の基本的な考え方は書いたものの、それ以降は、実際の論争やクロスレビュー、事件の経緯を読むことで映画評論とは何かを感じてもらえる構成にしたつもりである。
本著284-285ページ
映画評論の入門書ではなく、映画評論の歴史を紐解く入門書である、ということですね。
そういう意味で本著を改めて捉えると、とても読みやすく映画評論史をまとめた1冊と言えるでしょう。
本書の構成
私の世代で”映画評論家”というと、淀川長治やマイク水野(水野晴夫)、ジュン浜村などが真っ先に上がりますが、今でいうとLiLiCoや不倫失敗の有村崑、町山智浩あたりでしょうか。
そんな映画評論家の歴史を振り返り、キネマ旬報など映画評論誌にも触れながら、わずか数ページの「映画評論を書く」章に入っていきます。本書の筋書きからすると申し訳程度ではありますが、なかなか参考になる章ではあります。
その後、「映画監督VS映画評論家」では、市川崑監督の2作品『処刑の部屋』『東京オリンピック』を例に挙げ、作り手と評論家(批評家と言った方が正しいか)の論争を紹介。
他にも若松孝二監督の『壁の中の秘事』の国辱映画論争にも触れています。
要は映画はかくあるべしという保守的な評論家と、映画の革新を進めていこうとする監督側とのバトルということでしょうか。
『東京オリンピック』においては、オリンピック記録映画という広義から、市川崑監督が芸術映画に仕上げてしまい政府からクレームがつくものの、女優の高峰秀子が割って入り、作り手と演者と政治が激しく絡む映画評論に展開していきます。現代にはない、エネルギッシュな展開でかなりおもしろい。
暴力映画に対して「犯罪を誘発する」「国の検閲を設けるべき」という指摘があったり、ピンク(っぽい)映画に対して、海外の映画祭で紹介される際、自国民から「国辱映画だ」とレッテルを張られたりと、映画表現の自由度に自主規制があったり、外部圧力があったようです。
そんな話題から、次の章では映画年間ベストテンと絡めて、ピンク映画がイロモノから映画評としての市民権をいかにして勝ち取っていくか、にも触れていきます。
さらに次の「リアルタイム映画批評REMIX」の章では、映画ファンの中で古典であり殿堂入り的な作品を通じて、公開当時と現在の映画評論を比較し、さらっと著者の評論とも絡めてまとめています。
『七人の侍』『ゴジラ』『世界残酷物語』『2001年宇宙の旅』『仁義なき戦い』『犬神家の一族』『太陽を盗んだ男』を紹介しているので、ぜひ映画本編を観てから本章を読んでほしい。
最後の章では、映画と犯罪について触れています。
黒澤映画『天国と地獄』になぞらえて、映画というドラマ内で起きる事件から模倣犯が出てきたり、そうした方法論を映画を通じて世に知らしめることについて、当時の背景や犯罪者の手記から全体像を示しています。
紹介しておいてなんですが、本書は現在新刊では入手できないようです。
フリマサイトなどで古本を見かけられた際は、手に取ってみることを強くお勧めする1冊です。
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