【心がざわつく】戦争犯罪を追及するドキュメンタリー映画『ゆきゆきて、神軍』を観た!

世の中にはいろんな人がいる。強い人も弱い人も、優しい人も怖い人も、かっこいい人もかわいい人も、そうじゃない人もいる。いろんな考え方の人がいる。いろんな文化を持った人もいる。

自分の価値観だけがすべてではないし、価値観を押し付けてはいけない。
他人の価値観なんてなにもわからない。本当は自分のことだってわかっていないかもしれない。

最近は「ダイバーシティ」という言葉に代表されるような”多様性”を認める社会になってきましたみんな違って、みんないい。私は心の底からそう思っていますし、私の人生のモットーでもあります。

ただ、奥崎謙三氏の行動は、私の理解を越えている…。

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『ゆきゆきて、神軍』の主人公、奥崎謙三氏

この人とは実社会で触れるのが怖い、できれば避けて過ごしたい…。
奥崎氏の価値観は否定しませんが、私の人生の考え方には決して相容れない…。

なのに、本作『ゆきゆきて、神軍』を観ると、奥崎氏のことをもっと知りたい!と思わせられる、巨大なエネルギーが蠢いています。

氏の不思議な魅力に引き込まれていく、本作はそんなノンフィクション・ドキュメンタリー映画です。

ずっと前から気になっていましたが、今回高田馬場にある名画座『早稲田松竹』でようやく観ることができました。ちょっとデリケートな作品ですので、気を付けて文章を書くのですが、お気に障った方がいればすみません。

ドキュメンタリーのあらすじ

奥崎氏は第二次世界大戦中、日本軍の一兵士とし激戦地ニューギニアへ派遣されていた元日本兵。アナーキストとして戦争責任を問い反天皇活動を続けている中、かつて自らが所属した第36連隊の隊長による部下射殺事件があったことを知ります。戦友の墓参りや入院中の戦友を見舞ったりしながら、殺害された二人の兵士の親族とともに、処刑に関与したとされる元隊員たちを訪ね、真相を追い求めていきます。

あらすじだけみると、なるほど、ちょっと政治思想がある人だけど、戦争が終わった今も慰霊を続けている情に厚い人なんだと思いますが、ドッコイこの人はぶっちぎってます。

公式ホームページ(があることもすごい)のシノプシス(あらすじのようなもの)を引用します。これだけでもある種のヤバさが伝わるかと。

兵庫県神戸市兵庫区荒田町。色褪せたジャンパーを着た中年男が、シャッターを上げていた。看板にはキケンな(「キケンな」に傍点)メッセージがびっしり、大書されている。バッテリー・中古車修理店店長にして〝天皇にパチンコ玉を撃った男″奥崎謙三の登場である。

兵庫県養父町。太田垣家の婚礼、媒酌人を務める奥崎が、居並ぶ親類縁者・長老達の前で祝辞を述べる。「花婿ならびに媒酌人、共に反体制活動をした前科者であるがゆえに実現した、類稀なる結婚式でございます」 天皇誕生日当日。「神軍平等兵奥崎謙三」「田中角栄を殺すために記す」「ヤマザキ、天皇を撃て!」「捨身即救身」……奥崎の物騒な宣伝車は公安によって行く手を阻まれる。車に立てこもって演説をぶつ奥崎。 「自宅屋上に独居房を作ろう」。そう思い付いた奥崎は、その実寸を測るため、神戸拘置所に向かう。静止する職員を罵倒する奥崎。「ロボットみたいな顔しやがって!」「人間ならば腹立ててみよ!」 喪服の黒いスーツ姿に正装した奥崎は、ニューギニアで亡くなった元独立工第36連隊の戦友達の慰霊に出発する。“神軍”の旗をなびかせて疾駆する街宣車。

広島・江田島町。同年兵・島本一等兵の墓前で、島本の母・イセコをニューギニアにお連れすると約束する奥崎。

兵庫県浜坂町に、ジャングルで餓死した山崎上等兵、次いで南淡町に、毒矢で狂死した田中軍曹、と奥崎の慰霊行脚は続く。

終戦から23日後、36連隊ウェワク残留隊内で隊長・古清水による2名の部下銃殺事件が起こった。その真相究明のため奥崎は、かつての上官たちの家を次々、アポなしで襲撃してゆく。その追求の果てに〝究極の禁忌(タブー)″が日々の営みの一部となっていた戦場の狂気が、生々しく証言されることになる――。

『ゆきゆきて、進軍』公式ホームページより引用

※ちょっとでも興味がある方は、是非触れてみてほしいので、公式ホームページを張っておきます。

『ゆきゆきて、神軍』公式ホームページ
平和ニッポンを鮮やかに過激に撃ち抜いた原一男渾身の大ヒット・ドキュメンタリー

真相究明のロードムービー…ではない?

銃殺事件の真相を暴こうと戦友の元を訪ねていきますが、その手段が常軌を逸しています。

アポなしの早朝。ニワトリが鳴く早朝に押し掛けます。この状況で普通は取材に応じませんよ…。だけど、戦友とわかると多少の会話がポツポツと始まり、突撃取材でいろいろ聞き出そうとします。そりゃ厳しい状況を生き抜いた仲間ですからね。無視はせず少しずつ話し始めます。

だけど、用事だってありますよ、アポなしなんだもん。この後用事があるから~と相手が少しでも不遜な態度に出たら、「キサマー!」と暴力!暴力!暴力!お前がやったんだろ!と暴力!
ひどいよ!

また、大病を患い病院を見舞った戦友には、病気になったのは「罰が当たったんだ」と一蹴。それ、見舞いになってないよ!なのに一応手土産を持ってくる謎の常識あり!

元衛生兵のウナギ屋にも襲撃。店の営業がある、予約客が来るからと断ると逆ギレ。お前たちは慰霊より商売が大事なのか!この方たちは兄弟を処刑されているんだぞ!と…。
恐ろしすぎる迫力。しぶしぶ場所を変えて話始める元衛生兵が、戦場のタブーを口にし始めます。

終盤、「罰が当たった」と見舞いに行った戦友が退院したころを見計らい実家を襲撃。これまたアポなしで押し掛けて、自宅に軟禁し問い詰める。
「本当のことをカメラの前で発言することが、悲惨な戦争を再び起こさないために、あなたの経験は宝なんだから、教えて下さいよ」と問い詰めるも、自分の口からは言えない…と拒む戦友。
供養の話題にて、戦友の”靖国…”という言葉をスイッチに、暴力!退院直後の戦友の老体に暴力!武力行使でついに口を割らせることに成功します。

シノプシスにある”タブー”とは何か、ぜひ映画をチェックしてみて下さい。

罰せられるべきは誰なのか

私は戦争中の狂気を正当化するつもりもないし、そもそも勉強してもいないし経験してもいなんだから論を持ちません。ただ、いろいろな形での供養・慰霊があっても良いはずだとは思っています(PTSDじゃないですけど、兵士の思い出したくない過去もあるでしょう)。ですが、本作のキャッチコピーである「知らぬ存ぜぬは許しません!」を氏は体現し、とにかく吐かせるまで徹底的にやります

私には、結局は事件の真相が分かったようには見えなかったんですが、この後、銃殺を指示した(と思われる)上官の自宅を改造拳銃を持って襲撃することになり、本作はエンディングを迎えます。監督は、この状況を撮影するように依頼を受けたものの叶わず、実際の場面は撮影されていません。襲撃により上官のご子息が発砲に合い、奥崎氏は逮捕されました。

劇中、戦争の狂気を問い詰める奥崎氏は、「現行法では裁かれないが、あなたは責任を取っていない!」と糾弾するシーンがいくつか登場します。法で裁けないなら…俺が裁く!みないな発想なのでしょうか。時代劇の必殺シリーズみたいな。ある種のダークヒーローなのかもしれません。

氏の主張はさもありなんではありますが、とにかく自分の主張が強すぎて、問い詰める相手をほとんど理解しようとしていないシーンばかりなので、観る者に納得感が生まれにくい詰問ではありました。

戦争と暴力の違いは?

氏は暴力をふるった戦友を救急車で連れて行った後、「自身は覚悟をもって暴力をふるってきた。その責任は毎回取ってきたしこれからも取る!」ときっぱりおっしゃいます。口を割らせるためには暴力も致し方ないと思っている、とはっきりとも。

これはかなり矛盾した発言ではないでしょうか。自分が正しいと思っていることをやるには武力を肯定するということですが、それでは戦争と同じ。戦争とは互いにとっての正論が、殺し合いに発展していくことです。その人にとって正しいことでも、すべての人において正しいことではないはずです。それを確信犯的に暴力を振りかざして押し付けるのはどうなんだと。責任を取る云々の問題ではない気がするのです。

※監督曰く、制作側でこのシーンはカットすべきか議論があったようです。確かに、この暴力肯定セリフがない方が、映画として内容がスッと入ってくる。けど、この矛盾するセリフがないと奥崎氏の魅力は半減するでしょうから、この大いなる矛盾は氏のキャラクターを決定づけるのにはぴったりなシーンだったと思います。

ドキュメンタリーハイ

本作では、真相が知りたい・真相を暴くというストーリーラインがメインになっていますが、氏にとっては自らの主張を通したい・正当化したい、という主義主張がメインで、自分が想像する着地点に決め打ちしているといいますか。ほら、私が想像した通りじゃないか!というゴールに向かって話が進んでいる印象を持ちました。

本作を観た後、どうにも心のざわつきが収まりませんでした。が、本作のことをいろいろ調べると少し平穏を取り戻しました。それは、一種のドキュメンタリーハイな状態で撮影が進んだこと。そして、奥崎氏は自らを演出していたこと。
狂気が多少は演出のそれであったことで、私は少し安心しました。(こんな人が世の中におったらタマランで!と思っちゃってたんで…)

よくテレビで警察24時的なドキュメンタリーが放送されているじゃないですか。あれだって警察側にカメラが付いているわけで、当然警察だってカメラを意識した行動をするわけでしょう。やらせでも作り物でもないけど、そこにカメラがある限り、良く見せたくもなるし、演出も入るし、多少のストーリ―も必要になる。隠し撮りでもしない限り、被写体は演者になるし、真のリアルドキュメントにはなりませんから。

そのあたりの奥崎氏の演出と、本作の原一男監督のやり取りはとてもおもしろい。ある種、ドキュメンタリーの裏側というか、攻防というか、興味深い制作裏話がたくさんあります。

最後に

強烈なエネルギーを放つ、奥崎氏が各地を襲撃するドキュメンタリーとしては抜群に面白い。リアルドキュメントという一面を飛び越えて、演出がかったガチンコとして観ても最高。何らかの機会でぜひ本編を観てもらいたいし、抵抗があったら予告編だけでもいいから見てほしい作品です。

ただ、現代において、本作を”戦争を考える映画”として観るのはどうかなあと。適切ではないような気がしますね。時代は常に動いているわけで、本作の魅力はそこにはなくて、ただひたすらに異彩を放つ奥崎氏の活動絵巻としてとらえてもらった方が、エンターテインメントとして楽しめるんじゃないかなあ、と感じました。

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