今回紹介する映画は、聞いたことはあるけどどんな内容か知らない作品ナンバーツー!(アツコアツオ調べ)
『蒲田行進曲』です!
『蒲田行進曲』と言えば、例のメロディと”階段落ち”をイメージしますが、実際どんなお話しなのか知らない方も多いのではないでしょうか。
私もその1人で、映画ファンの端くれとして昔から気にはなっていたのですが、ローカルテレビ局の放送を録画しまして、ゴールデンウイークを利用して視聴しました。
大まかな筋書きと”階段落ち”について説明しましょう。
こんな人にオススメ
- 笑えて泣ける人情話が好きな方
- 時代劇の舞台裏に興味がある方
- 深作欣二監督のファン
本作、角川と松竹の合作のようで、角川春樹氏がクレジットされています。角川映画、という括りではないのかもしれませんが、80年代邦画のノスタルジーや哀愁を感じさせる作品です。
準主役の銀ちゃんという時代劇役者の存在がギャグなので、笑いどころと言えるかは微妙なところですが、結構笑いながら観てしまいました。また、当作品は時代劇を作る映画撮影所が舞台になっていますので、どんな風に時代劇が撮影されているのか、出演者たちのヒエラルキーや出世関係もおもしろかった。
意外に感じましたが、監督は深作欣二。『仁義なき戦い』や『バトルロワイアル』の印象が強いため、バイオレンス映画が得意かと思っていましたが、本作品はホロリと泣かせる人情コメディと言ってもよいでしょう。
映画の内容(ネタバレ含みます)
まず初めに、ちょっと大胆なことを言います。
『蒲田行進曲』というタイトルをいったん忘れて下さい!いったんこのタイトルから離れましょう。
というのも、これ私個人の問題かもしれませんが、視聴後であってもこのタイトルと話が連想しにくいんです。タイトルに引きずられずに、ざっとストーリーを紹介します。
舞台は京都の時代劇撮影所。ちょっとくどくて暑苦しい演技をするピークを過ぎたスター、風間杜夫演じる銀ちゃんと、それを慕って取り巻く大部屋メンバー(要は切られ役)。それに対抗する、原田大二郎演じる新進気鋭の若手スター候補の橘とその取り巻き。
銀ちゃんは若手の台頭に焦っており、撮影中も橘に対抗心メラメラ。取り巻きたちにはいつも理不尽で傍若無人な振る舞い、それでいて「どうせ俺は終わった役者だ」と拗ねたりぐずったいりと小心者の一面もある。
そんな時、取り巻きの1人であるヤスの家に銀ちゃんが押し掛けてきた。何かというと恋人の小夏が妊娠したと。俺は大事な時期なんだ、これからカレンダーの一面も飾るし、CDも出るから、映画の主演もあるから、と。だからヤス!お前が小夏と一緒になれ!と、腹の子の面倒をみろ!と押し付けるのです。(しかも不条理にもヤスに「見ておけ」と釘を刺し、ヤスの部屋で小夏とおっぱじめる始末)
信頼している銀ちゃんから理不尽にも小夏を押し付けられたヤス。実は小夏もかつて一世を風靡女優で、ヤスは小夏の大ファンだった。ヤスと小夏は一緒になることを互いに同意し同居生活を始めます。ヤスは子供のための日銭を稼ぐため危険なスタントに積極的に参加、日に日に怪我が増えてくるも献身的に小夏をサポートします。
そんな時、ヤスが切られ役として参加する、銀ちゃんと橘が主演する映画(新選組VS坂本龍馬)の大メインクライマックス。池田屋での死闘シーンのためにセットを組んでいましたが、切られ役による十数メートルの大階段からの階段落ちが会社から否決されてしまいます。演者を危険にさらすわけにはいかないとOKがでなかったのです。
銀ちゃんは、小夏を手放した後にできた若い小娘にもフラれ、復縁を迫った小夏にも拒絶されます。挙句の果てに決まっていた仕事もなくなり、自信喪失してしまい失踪。探しに来たヤスは、銀ちゃんの現状に見かねて、もう一度スターに押し上げるために危険な階段落ちを受けることを決心するのです。
ね、蒲田行進曲というタイトルがなくても問題なさそうでしょ?
どうやら原作は松竹の蒲田撮影所が舞台になっているようで、そこから蒲田の地名がついたようです。映画版に”蒲田”は関係ないようですね。
豪快豪傑迷惑男・銀ちゃん、プロ舎弟ヤスの見上げた根性
風間杜夫演じる銀ちゃんがとにかくイヤなやつ!昔の映画スターってこんなだったんだろうか。傍若無人な俺様気質でジャイアニズムといいましょうか、それでいて映画版のジャイアンは憎めなくて頼りになるという。けど、銀ちゃんといるとみんな不幸になってしまうよ!
そして、取り巻きの大部屋メンバーのヤス。銀ちゃんのどこにホレたのかよく理解できなかったけど、こりゃプロの舎弟、プロの子分だ。まさしく切られ役、プロの脇役だ。ヤスは映画という舞台で脇役に徹し、とことんスターを立てることに徹した。命を落とすかもしれない階段落ちに志願してもなお、それは銀ちゃんを立てるためであり、銀ちゃんを男にするため。ヤスは優しいだけが取り柄と劇中で表現されるますが、ヤス!あんたこそ男だよ!と思っちゃった。
どこの社会に出ても同じであって、みんなが主役にはなれないし、みんながスターにはなれない。
神輿に担がれる人は少数で、私も含め多くの人は神輿を担ぐ側、もっというと神輿すら担げない人かもしれない。
だけど、自分にとって自分は主人公なのだ。
ヤスはヤスの人生がある。映画の脇役であっても、小夏と一緒になって、血縁はないけど父親になって、それがヤスの物語でヤスにとっては主役なのだ。ヤスはトコトンそれを理解しているような気がしました。
その他、気づきポイント
命を懸けた階段落ちに臨むヤス。終始、銀ちゃんの舎弟としてヘラヘラしていた彼ですが、階段落ちに臨む前、一世一代のアクションを前に、死地に赴く兵士の表情になります。ヤスの役者、平田満スゲエ!
銀ちゃんと仲直りしすぐにヘラヘラモードに戻ってしまうけど、なんだかぐっときてしまった。『鬼滅の刃』における善逸のよう、と言えばわかりやすいでしょうか。
あと、ラストシーン。大団円を迎えてテーマソングが流れますが、印象的な演出が。この辺りは舞台劇の映画化ということもあり、カーテンコールを模したものなんでしょう。怒られるかもしれないけど、シベ超みたいっすね。
階段落ちのシーンが有名すぎて時代劇かと思っていたけど、時代劇を撮影している映画に賭ける男たちの物語でした!
それから、松坂慶子ファンの方、序盤にムフフシーンありまっせ。
コメント