こんにちは。野良プロレスコラムニストのアツコアツオです。
金曜日は闘いのワンダーランド!
毎週金曜日にお届けする『NJPW今日は何の日』のコーナーです。
新日本プロレスワールドのアーカイブにある過去の試合から、アツコアツオが独断と偏見で選んだ1試合を紹介します!
新日本プロレスワールドとは?
新日本プロレスの動画ストリーミングサービスで、大会の生中継・見逃し配信・過去の試合・オリジナルコンテンツetc…月額たった1,298円(WEB決済の場合)で楽しめちゃうすごいサービスです!
動画はパソコン・スマホ・タブレットなどのデジタルデバイスで見ることができ、Google chrome castなどがあれば大画面テレビにキャストして観ることも可能!
あなたの自宅がスペシャルリングサイドに早変わり!
気になる方は↓をクリック(まずは無料動画だけでもチェックしてみてくださいね)
※サイトリニューアルに伴い、過去の試合の多くが視聴できなくなっています。
また、WEB決済とアプリ決済(Google PlayやAppleなど)で月額料金が異なりますのでご注意を!
アントニオ猪木名勝負セレクション
新日本プロレスワールドのリニューアルで過去の動画の多くが視聴できなくなっています…。
リニューアルに関する幣ブログの記事はこちら↓。
木谷オーナーが動きだし状況が緩和されているような印象を受けますが、リニューアル時のファーストインプレッションです。
過去の試合は順次追加されていくとのことですが、「今日その日」の動画がほとんど存在しなくなってしまったので、しばらくは「アントニオ猪木名勝負セレクション」と題して、アントニオ猪木の名勝負を振り返ることにします!
というわけで、本日の試合はこちら。
かつて日本プロレス時代には、ジャイアント馬場も含めて「力道山門下生の三羽烏」と呼ばれた兄貴分でもある、大木金太郎との一騎打ちです!
大木金太郎との再会マッチ
背景を知れば知るほどエモくなるこの試合。
試合内容ではなく、歴史や背景こそがこの試合のみどころです。
この試合を3つのテーマに絞って解説していきましょう。
①大木金太郎でみる昭和裏面史
②流血の魔術、最強の演技
③ロマンかビジネスか
それでは、1つずつ振り返ってみましょう。
大木金太郎でみる昭和裏面史
今回の猪木の対戦相手は、元日本プロレスの大木金太郎。韓国出身の韓国人レスラーで、本名は金一(キム・イル)
在日韓国朝鮮人の血を引くレスラーな幾人といますが、大木金太郎は韓国人であることを公表しアイデンティティにしたレスラー。
大木金太郎の来日~対猪木戦までをざっと振り返るだけで、かなり濃厚な昭和裏面史になりますので、少しまとめてみましょう。
大木は1958年、29歳の時に漁船に乗り込み下関で密入国で来日しますが、警察に見つかってしまい逮捕されてしまいます。留置所から力道山宛に「弟子になりたくて韓国からやってきました」と手紙を書き、当時の日本プロレスコミッショナーであった大野伴睦が身元引受人になり釈放されます。
なぜ見ず知らずの韓国人を力道山が助けたのか?それは、戦後日本と複雑な世界情勢が関係しているといいます。
名著『闘魂と王道』に詳しいのですが、簡単に要約しておきましょう。
自民党副総裁である大野がコミッショナーを務める日本テレビがバックについている日本プロレスは、親米反共(反ソ連)を推進するいわば装置であった、と。
また、朝鮮半島は北と南で統治が分かれており、韓国側は共産化に傾きつつある時期で、韓国を豊かにする必要があった。好景気だった日本がバックアップすると、併合時代の反発から反政府運動につながりかねない状況だったようです。
そこで、朝鮮半島出身の力道山が韓国に渡り、日韓友好の英雄にしていくというアイディアがあったそうです。しかし、日本での地位が危うくなるのではと心配しこれを嫌った力道山は、大木を利用し韓国の英雄に仕立て上げようと考えた、というわけです。
そして、のちに大木は時の朴正煕政権からバックアップを取り付け、韓国プロレスのを盛り上げていくことになるのです。
日本の支配から解放された朝鮮半島を取り巻く民主主義VS共産主義の対立。そして、日本国内においては親米化の隠れ蓑になっていたエンタメやスポーツ界の中で、日本プロレスと力道山の役割は大変大きかったわけです。
大木はさらにその韓国版力道山を期待され、日韓の親善促進と韓国の成長、そして民主化を進めるための役割を担っていたようです。
ご本人がどれだけ力道山の出自やプロレス入りを意識していたのかはわかりませんが、留置所から苦し紛れに送った手紙だったとしたら、釈放はされるわ英雄候補にされるわで、超ラッキーマンですよね(笑)
大木のプロレスキャリア
先にも触れましたが、猪木と大木は日本プロレス出身で、大木がキャリア1年先輩ではあるものの、一時は「三羽烏」として切磋琢磨したレスラー仲間でした。
大木は韓国出身を公言していて、猪木はブラジル移民の日本人ということもあり、(猪木は密航ではありませんが)親近感を持っていたような気もしますし、猪木のデビュー戦を務めたのは大木でしたから、兄貴分といっても差し支えないんじゃあないでしょうか。
大木は韓国人レスラーとして大きな使命を担っていたわけですが、師匠の力道山が暴漢に刺されて死去。絶対的なスターを失った日本プロレスは、アメリカ帰りのジャイアント馬場と台頭してきた猪木のBI砲が人気を席巻していき、大木は次第にポスト力道山の求心力を失っていったのかもしれません。
その後、猪木はクーデター疑惑で日本プロレスを追われ新日本プロレスを旗揚げ。それを追うようにジャイアント馬場も退団し、いよいよ日本プロレスのエースになった大木でしたが、日本テレビやNET(現テレビ朝日)の中継を失った日本プロレスはすでに死に体であっさり崩壊。新日本プロレスに吸収合併される案もあったようですが、結局は残党となり全日本プロレスに参戦することになりました。
そこでもマッチメイクに恵まれず冷遇された大木は全日本を離脱、猪木に挑戦状を叩きつけるのでした。
日本プロレスから追い出された猪木と、流浪の果てに新日本プロレスへたどり着いた大木。
いったいどんな試合になったのでしょうか?
試合内容
ここからは試合内容を振り返っていきましょう。
当時猪木は31歳、大木は42歳。
プロレスの試合とはいえ、42歳でバリバリの猪木に対峙し、勝利するのは至難の業だったのかもしれません。
大木は「お気に入り」だという原爆きのこ雲のガウンを着用。これ、いまの時代では許されないような気がしますよね(笑)そもそも大木は密航者ですから、原爆被災者でもないでしょうし…。謎に「HIROSHIMA」の文字入り。NAGASAKIの文字はないようです。
かつてジャーマンスープレックスを原爆固めと表記したこともありますから、得意技の原爆頭突きからくるギミックだとは思うのですが、考えようによっては日本人を馬鹿にしてるのか!と誤解されかねないガウンです。当時はおおらかだったんでしょうかね。
レフェリーは豊登、大木のセコンドには芳の里と九州山。忘れ時の日本プロレス同窓会という様相を呈してきました。
仕掛ける猪木
コールとともに猪木は丁寧なお辞儀。かつての先輩に向けた敬意か?と思いきや、ゴング前にナックルで大木の体を殴っていきます!これはいけません(笑)そして、両掌をこまねいて「来い!」と挑発。
猪木はかなりエキサイトしている様子、一説には大木のシュートを警戒して先にかましていったのでは?といわれています。この行動はチャンピオンの振る舞いではありませんが、これで大木は何か警戒してしまったのかもしれません。
大木のビジュアル
大木はやや猫背で首が詰まったようなずんぐりむっくり体型ですが、黒く日に焼けていてパンプアップされた張りのある体は、昭和レスラー然とした分厚い体を誇っています。
かっこいいとはいえないかもしれませんが、なんだか大木の鬱屈した被害者意識が滲み出ているような気がして、哀愁を感じてしまいます(ちょっといいすぎ?)
ペースを掴むのは…
ゴングが鳴ると、やはり殺気立った空気がリング上を支配します。
序盤からブレーンバスターの仕掛けあい、猪木はさっそくコブラツイストを狙っていきますが、大木はこれを警戒してエスケープ。大木が四の字を仕掛けると猪木が蹴り上げて防御。一進一退の攻防が続きます。
ロックアップから大木は猪木の頭を押さえて、得意の原爆頭突きを狙いますが、ロープブレイクの際に必死に豊登が割って入り未遂に。豊さんのレフェリングはやや厳格すぎますね(笑)
続いて、飛行機投げの状態から大木をすくい投げる猪木ですが、横四方の体制で大木の頬めがけて肘や手首を押さえつけて、グリグリと押し込み、こすりつけていきます…。
意外と冷静な大木ですが、裏技を盛り込んでいく、えぐすぎる猪木のストロングスタイル!
豊登のレフェリングにも阻まれ原爆頭突きを狙う機会がありませんが、ここで大木は猪木をきれいなブレーンバスターで投げはなっていきます。この後の両者一瞬の間がすごく絵になりますね。大木の謎のポージング、格闘技のそれではないんですが、全身から気迫がみなぎっているの伝わってきます。
両者ペースを握らんと猪木がダブルアームスープレックスを繰り出せば、大木はリバーススープレックスで対抗。お互い全く譲りません。
流血の魔術、最強の演技
大木が頭を寄せると警戒する猪木、この隙をついてストマックへのヘッドバットが炸裂!これは強烈、猪木はコーナーで悶絶してしまいます。続けて大木はコーナーに押し込んでストマック、そしてついに頭部にヘッドバットが決まった!
この流れから大木のヘッドバットが面白いように決まっていきます。ヘッドバット1発毎に猪木がダウンしてしまい、まさにアトミックヘッドバットの異名の通り強烈な一撃。
たまらず猪木はリングに転がり込むと、大木は自分に視線が向くようにリング中央で大きくアピール。観客の注意をうまく引きつけ方ます。
ミスター高橋にならうと、この隙にリング外で猪木は額をカットしているということになります。この事実関係や是非は置いといて、この流血が猪木のファイティングスピリッツ(まさに闘魂)を燃え上がらせることになります。
リング内に戻った猪木に追い打ちをかけるよう、ヘッドバット連発!
頭を押さえる猪木、「もっと打ってこい!」と猛アピールすると、大木は容赦なく傷口にヘッドバットを投下していきます!
すると、まるで猪木は相手の攻撃を吸収して、自分の怒りのエネルギーに変えているように、右手の握りこぶしの甲を大木に示し、「コイ、この野郎!」と煽っていくと、最高のタイミングで猪木の頭部からツラ~っと鮮血が一筋流れ出してくる。
有名なシーンですが、この時の画角と猪木の表情、そして血が流れてくるタイミング…、すべてにおいて偶然の産物のはず!この闘志みなぎる表情とポージングこそがストロングスタイルの象徴でしょう!
あっけない幕切れ
さらにジリジリと猪木に詰め寄り、ついに一本足頭突きを繰り出してフォールを狙うもカウント2!
そして、ややカンター気味に猪木のナックルが大木にヒットしダウンを奪えば、すかさずボディスラムで叩きつけて腕関節を狙います。
嫌がって立ち上がった大木の後頭部に猪木のハンマーブローが鉄槌となり振り下ろし、さらに猪木の美しいバックドロップ一閃!
カウント3でNWF王座を防衛しました!
大木の頭突きをとにかく我慢し続けた猪木、攻めあぐねた大木の隙を見逃しませんでした。
エモすぎるエンディング
猪木と大木、紆余曲折あったそれぞれの人生が交錯する中で実現したこの試合。
死闘と呼ぶにふさわしい試合になりましたが、感動の場面は試合後にやってきました。
敗者の大木が猪木に歩み寄り、手を差し伸べて少しの会話から両者抱きしめあって体を叩きあう二人。一時は大木が所属する日本プロレスから追放された過去から、互いに憎しみあっていたのかもしれませんが、力道山門下で同じ釜の飯を食った兄弟対決で、猪木が大木から初勝利を奪いました。
腕で目を押さえて泣き出す大木、猪木は歯を食いしばって我慢しているようにみえますが、次第に涙があふれているようにもみえます。
インタビュー時には「ついに涙が出ました」と語り、プロレス入門以来のさまざまな出来事から大きな感慨があったに違いありません。
リングで戦うことで恩讐を超えて分かち合うことができるのも、プロレスの大きな醍醐味に間違いはないでしょう!
ロマンか、ビジネスか
喧嘩マッチになる恐れもあった猪木VS大木ですが、試合後は恩讐の彼方にあったエモーショナルな再会で幕を閉じました。
この後、大木はかつて窓際に追いやった全日本プロレスに再び参戦することになります。これは、馬場の猪木潰しの一環としての引き抜きであったといわれていますが、馬場VS大木は今回紹介しました試合のような、語るべきところが何もないように感じてしまいました。
名勝負とは程遠いのは言わずもがな、エモさや情緒すらもない、ただ単に馬場が大木をやっつけるだけの試合。
そりゃ最低限の大木の見せ場は作っているので、別に一方的であるとかプロフェショナルではないといいたいわけではないんです。要は、馬場にとっては大木との試合は単なるビジネスでしかないんだなと。
一方で、猪木は大木との再会をシュートや喧嘩を警戒した死闘に発展させ、そして試合後に(偶然かもしれないけど)究極のエンディングに到達させました。やっぱり猪木は一流のロマンチストなんだよなあと思ってしまいました。
以前紹介しましたVSストロング小林戦もそうですけど、当時猪木とも馬場とも戦ったことがある日本人レスラーの試合を見比べてみれば、いろいろ感じるところがでてきそうですね。
馬場VS大木はYoutubeに動画があったりしますから、この試合をご覧になった方はぜひ比較してみてくださいね!
↓新日本プロレス黎明期の猪木を振り返るのに最適の一冊!
↓ファイター視点でアントニオ猪木の技術を検証する一冊!
↓ジャイアント馬場という対立軸でアントニオ猪木を考える一冊!
コメント