こんにちは。野良プロレスコラムニストのアツコアツオです。
金曜日は闘いのワンダーランド!
毎週金曜日にお届けする『NJPW今日は何の日』のコーナーです。
新日本プロレスワールドのアーカイブにある過去の試合から、アツコアツオが独断と偏見で選んだ1試合を紹介します!
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11月3日は何の日?
今回は、1983年11月3日に蔵前国技館で行われたこの試合をテーマに考えてみることにしましょう!
長州率いる維新軍と新日本本隊の対抗戦は、なんとその場で対戦相手が決まる綱引きマッチになりました。
運任せな綱引きの結果…メインイベントはアントニオ猪木VS谷津嘉章になりました!
デビュー僅か3年足らずの谷津がどう猪木を崩すことができるか…!?
幻の金メダリスト
どの年代のプロレスファンかによって、谷津に対するイメージは随分変わるのではないでしょうか。
もっとも最近ですと、義足レスラーとしてDDTで活躍しましたし、”ど真ん中プロレス”WJではレスラー兼営業部長として辣腕を振るい(そして経営者批判して退団)、PRIDEではゲーリー・グッドリッジと対戦したことも印象的でしたよね。
その前の時代ですとSPWFなる社会人インディー団体を興したり、全日本プロレス→SWS移籍という当時の退団レスラーのゴールデンコースを歩んでもいますが、やはり全日本プロレス時代に活躍した鶴田との五輪コンビの印象が強くて、元々は新日本プロレスの選手だったということは意外と忘れられているかもしれません。
谷津は足利工大附属高校→日大レスリング部というアマレスエリートで、モントリオールオリンピックに出場し、次大会のモスクワオリンピックは日本不参加により出場は叶わなかったものの、全日本選手権金メダルの輝かしい成績から、「幻の金メダリスト」と呼ばれたようです。
その後、エリートコースで新日本プロレスに入団。
WWFでのプロレス修業を経て、帰国後の新日本プロレスでデビューしますが、初戦はなんとアントニオ猪木とタッグを組んでブッチャー&ハンセン組と対戦(1981年6月24日@蔵前国技館)。超一流のメインイベンターに混ざって華々しいデビュー戦となりました(結果は大流血の末敗退)。
幾度の海外遠征を経て
その後、WWFへ戻り再度武者修行を経験、その後帰国するもなかなか芽が出ず。
三度アメリカへ飛び、今度はWWFではない南部テリトリーを転戦し、ヒールレスラーとして活躍したようです。
アマレスエリート、鳴り物入りのデビュー戦、幾度の海外武者修行を経験するもブレイクできず…。
この流れって、長州力のキャリアととても似ていると思いませんか?
1983年10月、谷津は帰国するタイミングで、プロレスに馴染めずいまいち弾けることが出来なかった吉田光雄から、見事に革命戦士へ転生した長州力率いる維新軍に加入することになりました。
谷津は当時の長州力を『闘魂と王道』では以下のように述懐しています。
(長州に)言われるがまま維新軍に入ったら驚きましたね、長州さんの変わりように。維新軍になった長州さんは、眩しかったですよ。リング上ではとにかく勢いがあったし、仕合以外ではどこに行ってももてはやされてね。昔とはまったく別人。俺が海外に出るまえは、まだ(本名の)吉田光雄だった、でも維新軍になってからは、完全に”長州力”になっていた。
(中略)
長州はもともと専修大レスリング部の首相。お山の大将になってこそ、力を発揮するタイプ。だから維新軍のボスになって化けたんですよ。
堀江ガンツ著『闘魂と王道』P400より引用
未完の大器や善戦レスラーから見事に覚醒した長州軍団に所属することによって、谷津はなにかプロレスラーとしてスパークするきっかけを探していたのでしょう。
綱引きマッチ
さて、この日の興行の目玉である、新日本本隊と維新軍団の対抗戦を振り返っていきましょう。
新日本本隊はアントニオ猪木、坂口征二、藤波辰巳、前田明(UWF経験前!若い!)。対する維新軍団は長州力、アニマル浜口、キラー・カーン、そして新加入の谷津嘉章。
両軍が対峙し誰が引き合うか分からない状態にしておいて、綱引きによって対戦相手が決まるという画期的な組み合わせ方式で、以下の対戦カード決定しました。
坂口征二VSアニマル浜口
前田明VS長州力
(セミ)藤波辰巳VSキラー・カーン
(メイン)アントニオ猪木VS谷津嘉章
浜口は坂口に反則勝ち、長州は前田にサソリ固めを決めレフェリーストップ、キラー・カーンと藤波は両者リングアウトとなり、維新軍団勝ち越し決定のままメインイベントに突入します。
この綱引きによる対戦カード決定っていうのは、興行としてのプロレスを考えたときに、いろいろと妄想が捗りますよね。
そもそも、この綱引きは演出なしのリアル抽選だったのかどうか。
そして、もしそうだったとしたら、対戦カードが決まってから急いで試合の結末をまとめる必要があったと思うんです。野暮なこといいますけど。
そんなふうに考えると、試合が決しない反則・両者リングアウト・レフェリーストップが結果の大半であるっていうのは、試合開始まで時間がない中で、裏方がバタバタして決めたんだろうと思えなくもないですよね。
この辺は完全にケーフェイでしょうからネタバレは起きないでしょうけど、いろいろ考える余韻を残してくれる対戦形式といえますね。
そうそう、新日本プロレスワールドではキラー・カーンに関する動画がまったくありませんのでご注意を。
試合内容
大将戦としてメインイベントに臨んだ谷津ですが、とにかくデカすぎる存在の猪木に対して、どのように食らいついていくのか。
谷津の田吾作スパッツにはJAPANの文字。マサ斎藤リスペクトなのか、はたまたオリンピック戦士をイメージしたものか。もじゃもじゃの頭と相まって、野武士ジャパニーズレスラーといった風貌でけっこう味がありますね。
ゴング後、谷津はグルグルと猪木の周囲を回りながら、相手と距離を取って真っ向勝負を避けるようなノラリクラリ戦法。アメリカで身に着けたヒール流のファイトスタイルでしょうかね。
組み合わない谷津に猪木はかかってこいといわんばかりに煽っていきますが、谷津はどこ吹く風で逃げ回る。
谷津!逃げ回ったって勝てっこないぞ!とブーイングを飛ばしたくなるような、スッキリしない展開が続きます。
谷津はやっとロックアップに応じますが、猪木の鉄拳制裁を受けてリング外へエスケープ。攻めさせない状況に嫌気をさした猪木が”猪木アリ状態”で谷津を誘い込みます。
グラウンドの攻防から上になった谷津が顔面かきむしりやヘッドバットでペースを掴むと、得意技のワンダースープレックス(フロントスープレックスに似たスロイダー)を繰り出しますがカウント2。
お返しとばかりの猪木からのナックルパートを受けますが、谷津はグラウンドの腹固めや卍固めのような固め技で猪木の体力を奪っていきます。いかんせん形が不完全でイマイチどこに効いているのかわからない…。
隙ありとばかりに猪木は延髄斬りを繰り出して、クリーンヒットした谷津は場外に逃げるのが精いっぱい。さらに猪木からコーナーポストに振られ頭から突っ込んでしまい頭部裂傷、流血に追い込まれます。
完全に仕留めにかかった猪木の「殺し」とそれを煽る観客の猪木コール、場の雰囲気に完全に支配されてしまった谷津にはすでに闘志がないようにみえ、ナックルパートと延髄にバンプを取るしかできませんでした。
当然ながら猪木の完勝。
キャリア3年の付け焼き刃ではありますが、猪木に負けずとも劣らないレスリング技術がある谷津ですから、けっして弱くはないはずなんですよね。
アマチュアレスリングは競技であって殺し合いではない。プロレスが殺し合いだとは思いませんけど、猪木流プロレスには殺気があるのも事実で、当時の谷津はこの「殺し」にひるんでいるように見えてしまいました。
競技の一流アスリートがリアルファイトの臨場感を醸し出すには、また違ったセンスが求められるということでしょう。
谷津自身が語る猪木戦
現代のプロレス考察にはプロレスラー兼ユーチューバーの証言が欠かせません!
今回紹介しました試合は、谷津嘉章公式YouTubeチャンネル「義足の青春」で述懐されていますので、試合を見た後にぜひチェックしてみてほしい!
決して種明かしや暴露をするわけではなくて、それがかなり心地よい具合で語ってくれています。当時の内幕や谷津自身の心境を吐露されていますので、より一層試合の輪郭がはっきりみえてくると思いますよ。
おりゃ!
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