こんにちは。野良プロレスコラムニストのアツコアツオです。
金曜日は闘いのワンダーランド!
毎週金曜日にお届けする『NJPW今日は何の日』のコーナーです。
新日本プロレスワールドのアーカイブにある過去の試合から、アツコアツオが独断と偏見で選んだ1試合をご紹介したいと思います!
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10月14日は何の日?
今回は2002年10月14日、東京ドームで開催された『THE SPIRAL』大会の、この試合をテーマにしましょう!
この日は他に中西学VSボブサップ<野人対ビースト>や蝶野正洋VSジョーニーローラー<異性対決>が組まれていたりと、PRIDEやK-1など格闘技の波が押し寄せる中、プロレス的な試合が多く非常にバラエティーに富んだ大会でした。
新日本プロレスワールドのアーカイブには、今回テーマにする永田VS藤田以外に中西VSボブサップもありましたが、「こんな試合あったっけ?」って思っちゃった、永田VS藤田を紹介させて頂きます!
マット界激動の世紀末→新世紀
今回の試合を紹介する前に、前後の出来事もおさらいしておきましょう。(長くなりそうだ…)
1999年のマット界はまさに激動の時代への幕開けでした。橋本VS小川の1.4事変に始まり、ジャイアント馬場とジャンボ鶴田の死去。そして、グレイシーハンター・桜庭和志の登場です。プロレス一時代に終わり告げられ、プロレスと格闘技が濃密に交わり始めます。
2000年になると前年の地殻変動を受けて、全日本プロレスはNOAHに分裂し、新日本プロレスを退団した橋本真也はZERO-ONEを設立します。全日本プロレスは所属選手2名で新日本プロレスと開戦し、新団体同士であるNOAHとZERO-ONEは交流戦を模索し始めました。プロレス界は他団体時代を経て、メジャー団体からも派生団体が出てきます。
こと新日本プロレスに目をやると、2000年1.4東京ドームからは佐々木健介がIWGPヘビー級王座に君臨していました。しかし、当時の新日本プロレスのお家芸(?)でもあった、リング外やアントニオ猪木周辺の話題が豊富で、本来一番強くて注目されるはずなのに、時の王者はあまり脚光を浴びていなかったように感じます。当時は必ずしもIWGPが新日本プロレスのメインストリームではない時代でした。(王者・健介以外にもスーパースターがたくさんいましたからね)
正直スマンかった
2000年のG1クライマックスは、IWGPヘビー級王者でありながら佐々木健介が優勝していますが(決勝戦の相手は前年覇者の中西学)、逆エビ固めでギブアップ勝ちという謎の決め技。そして全日本プロレスとの開戦によって川田利明との頂上(?)決戦に敗北→IWGP返上→2001年1.4東京ドームで王者決定トーナメントで川田を破り王者に返り咲きという、なんだかピリっとしない展開。
そのあと、2月に大谷晋二郎の挑戦を退けたものの、4月に決まっていた、PRIDE戦士として大活躍だった藤田和之とのIWGP戦を前にして、3月のスコットノートン戦でまさかの敗北。IWGPのベルトを手放してしまいます。
ファンは健介VS藤田を想像していたにもかかわらず、なんと直前に王者交代という大失態をやらかしてしまったのです。その後健介が、プロレス迷言・珍言の大定番「正直スマンかった」で藤田に謝罪するのでした。
この一連の流れから、武藤にいわせると<小結>という表現になりますが、私は当時の佐々木健介には”なんだかなあ”という印象をもっていましたね。鋼の肉体はすごいかっこいいんですけど、革ジャンの背中に”健介”と書いてある入場コスチュームのセンスもちょっと…。
これ以前にも、直前になってVS高田延彦が流れたり、このあとパンクラスでの鈴木みのるとの一戦が実現せず流れたりと、佐々木健介に原因があるとはいいませんが、健介周りで不穏な出来事がたくさんありましたからね。
健介が本当の意味で輝いたのは、WJに移籍するものの崩壊した後、健介オフィスを立ち上げてからでしょうね。マネージャー北斗晶の活躍があったんでしょうけど、稼がないと食べていけないと覚悟を決めたのか、急にプロレス的センスがあふれだして、マスクマンとか外国人(ケンスキー!)とかキャラものにも挑戦し始めます。
長州力コピーの枠を脱して、唯一無二の存在になっていたんじゃないでしょうか。そして、佐々木健介のベストバウトとの呼び声も高い、VS小橋に向かっていくことになります。
ノーザンライトボムの後のフィニッシャーであるボルケーノ・イラプションって必殺技、かっこよかったんですよ。誰か継承してないかな。
IWGP王者の藤田を取り巻く環境
今回もだいぶんと遠回りをしましたが、だんだんと紹介する試合の輪郭がはっきりしてきました(笑)
IWGP王者として藤田に負けさせることができなかったんであろう、佐々木健介から勝利した超竜スコットノートンは、4月になると予定調和的にあっさり藤田に負けてしまいます。既定路線だったのかはもちろんわかりませんが、藤田が見事IWGP王者なりました。
そして初防衛戦の相手は、レスリングの先輩である永田裕志。2001年6月の武道館大会で対戦した試合は、プロレス大賞のベストバウトを受賞します。プロレスに総合格闘技の要素をミックスしたようなこの試合は”格プロ(格闘プロレス)”とも呼ばれ、しばらく新日本プロレスではこのスタイルが定着していきます。
悪くいうと総合格闘技風プロレスなんですが、時代のトレンドであったことは確かです。芯を食わないマウントパンチとか膝蹴りとか、(当たってないやん)(狙ってないやん)って思っちゃう場面も多くあったように思います…。
余談ですが、私があくまでプロレスを観るファン目線で、「これは本当にどうなるか分からないぞ!マジの攻防かもしれないぞ!」と思ったのは、随分後年になりますが1.4東京ドームでの中邑VS桜庭ですね。前哨戦で桜庭が見せたシュートサインだけでも、我々が妄想を膨らませるには十分だったですよ。
運命のいたずら、イノキボンバイエ
藤田はそのあと、2001年大みそかの総合格闘技大会イノキボンバイエに向けた練習中に、アキレス腱断裂のけがを負い、防衛戦をすることなく王座を返上します。そして、藤田の負傷欠場を埋める形でイノキボンバイエに出場した永田は、ミルコクロコップ相手にハイキックでわずか27秒で敗北し、伏兵だった安田忠夫はK-1のジェロムレバンナを破る大番狂わせの劇的勝利を収め、ここから安田はプチブレイク期に突入します。(魔界倶楽部は面白かったなあ)
ついに永田が王者に
2002年2月、藤田の王座返上によるIWGP王者決定トーナメント(何回やんねん!)で安田が優勝しIWGPヘビー級王座初戴冠、4月にその安田を破るかたちで永田は初戴冠となりました。
永田の防衛ロードでは高山・健介を退け、ついに2002年10月14日に藤田和之へのリベンジマッチが組まれたのです。
というわけで今回紹介する試合は、永田VS藤田の再戦であり永田にとってはリベンジマッチ、ということになりますね。
試合内容
永田のセコンドにはブルーウルフ、成瀬、垣原、タイガーマスクと格闘技にもめっぽう強い選手がついており、対する藤田のセコンドには盟友・高山。藤田は筋骨隆々でまさの野獣のようなカラダ、永田はというと今とほとんど変わらない体つき(アンチエイジング効果、それもすごい)。
だけどもう少しシャープに引き締まっているかな、という印象。永田はレスリング出身ですが、カミソリシューターといったボディライン。
試合内容はというと、マウントパンチやいわゆる4点ポジションからの膝蹴りなど打撃の応酬が中心。その中にプロレス的な展開で、場外でのボディスラムや藤田のフランケンシュタイナーなどが飛び出します。
プロ格的な展開でいうと、打撃に加えて藤田のスタンディングアキレス腱固めや肩固め、永田の腕ひしぎ逆十字固めなどがそうでしょうかね。
終盤、永田のハイキックでふらついた藤田に必殺のバックドロップホールド!カウント……2!
あれ?!
この技って返されることあるの!?
と思っているうちに、追撃のバックドロップ2連発からダメ押しのバックドロップホールドでついにカウント3!バックドロップ合計4連発で、永田が見事王座防衛となりました。
本来は新日本プロレスの序列的には、永田>越えられない壁>藤田だったはずでしたが、PRIDE参戦によってその序列が覆ってしまいました(もっとも藤田は新日本プロレスにいてもその序列は変わらないと意識して退団したんでしょう)。
超飛び級でIWGP王者になった藤田に対して、前年の敗戦の落とし前をきっちりつけた格好になりました。
試合後、スタスタと帰っていく藤田。プロレスの試合はやりたくなかったのかな?猪木からやれといわれたからしかたなかったのかな?と匂わせる表情。
この辺の立ち居振る舞いが、スレたファンからすると”上手くないなあ…”って思っちゃいますよね。
そんな藤田和之は2022年現在、格プロからもっとも縁遠かったNOAHで所属選手として頑張っています。プロレス界は何が起こるかわからないですから、長く見るに越したことはないです!
そしてこの試合に勝利した永田裕志は、このあとIWGPヘビー級最多防衛の記録を作り、ミスターIWGPと呼ばれるようになっていきます。
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