ダメダメなボンクラ野郎に送る青春大河小説!書評『グミ・チョコレート・パイン グミ編』大槻ケンヂ著

今回はロックミュージシャンである大槻ケンヂ氏が1993年に発表した青春小説『グミ・チョコレート・パイン』のグミ編を紹介します!(2000年に文庫化)

カバーイラストは、漫画家の江口寿史氏が担当。

大槻ケンヂ氏の半自伝的大河小説で、グミ編・チョコ編・パイン編の3編からなる長編小説。しかも足掛け約10年にわたって完結した、まさに大河小説です。

実写映画化や漫画化もされています。

劇場に観に行ったけど、原作にない宇宙人が出てきてぶっ飛んだ!
コチラは未チェックです…。古本屋で売ってたら買います。

それから、銀杏BOYZのアルバム『DOORS』に収録されている『17歳』という曲中にも”グミ・チョコレート・パイン”は出てきます。

あいつらが簡単にやっちまう30回のセックスよりも、グミ・チョコレート・パインを青春時代に1回読むってことのほうが僕にとっては価値があるのさ

現実なんて見るもんか
現実なんて見るもんか

銀杏BOYZ『17歳』より引用

あまり有名な小説ではではありませんが、フォロワーが多い青春小説とも言えますね。

今回は『グミ・チョコレート・パイン』全体の骨子と、グミ編の内容を紹介したいと思います!

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『グミ・チョコレート・パイン』グミ編

「オレはダメだな~」と思っている総ての若きボンクラ野郎どもへ、心からの心を込めて、本作を贈る。

本書冒頭より引用

さえない毎日を送る男子高校生

本書はとりわけ男性向け、さらにターゲットを絞っていくと男子中高生、もっともっと絞り込むと、モテない君・日陰者、今でいう「陰キャ」の男子中高生に、ズキュンと突き刺さること間違いなしの青春小説です。

自分は他の人たちとは違う、という幻想

中高生の頃、いわゆるスポットライトを”浴びない”学生生活を送っている日陰者の男子諸君には、ある種の選民思想みたいなものが存在すると思うんですよね。そこには根拠などなくて、自分は他人とは違うぞ!という、多様性とはまた違った、独特の他者に対する差別意識というか。

周りのやつってホントに下らねえなあ、俺はお前らみたいな俗物とは違うぞ、俺には何か他人とは違う才能があるはずだぞ、必ず何か成し遂げてやるぞ!とか思いながらも、だけど俺があいつらとは違うところって何だ?俺は何ができるんだ?…俺には何もないじゃないか!嗚呼!!

と、自問自答しながら、まあいいや、シコって寝よう。というエンドレスな思考内反芻を繰り返し性欲に溺れていくのです。まさに「オレはダメだな~」と思っている若きボンクラ野郎の象徴ですね。

幻想を抜け出し現実を受け入れる

その選民思想に駆り立てられて、何かを成し遂げるものもいる。本書ではそれがロックや映画への挑戦へ昇華されていますが、反社会的活動や犯罪行為という形で、ゆがんだ自己愛が結実する場合だってあるでしょう。それが自我ってやつかもしれませんし、中二病が肥大した成れの果てかもしれない。

そんな毎日を送りながら、いつの間にか世の中の歯車になることを受け入れ、多くの学生は就労という仕組みに取り入れられることで、社会の一員になっていきます。

本書『グミ編』のあらすじ※ネタバレ注意

主人公の大橋賢三は、学校に打ち解けず、趣味のマニアックな映画や読書、ロックなどをひたすら吸収し、クラスのリア充やフツー人やオタクたちと自分は違うんだと他者を侮蔑しながら、日々自慰行為にふけっていました。

賢三の心を許せる親友であるタクオやカワボンたちと、夜な夜なタクオの実家であるコクボ電気店の2階に集まっては、「いかに同級生たちが馬鹿げているか」「自分たちがマニアックな知識があるか」など、激しく語り合っていました。「自分たちは他人とは違う何かがある」という漠然とした思いを胸に、何か行動せねばとポルノ映画を観に行ったり、ロックやパンクのライブを見たり、自分たちには何ができるか模索していました。

賢三は、女子クラスメイト全員でできるほどのオナニストでしたが、唯一神格化し聖なる存在としてオカズにしていなかった、クラスメイト山口美甘子(みかこ)と名画座でばったり会うことになります。別次元の存在だと思っていた美甘子も、実はクラスメイト達はつまらない存在だと割り切っており、またマニアックな映画や文学が好きであったことが判明し、賢三と美甘子は急接近します。

恋に似た感情を抱く賢三でしたが、お互いの映画論などをぶつけ合いながら、同じ趣味をもつ友人として関係を深めていきます。ただし、美甘子は自分よりも物事への考察が論理的であり、感情的な考察が中心であった賢三は、美甘子には敵わないと敗北を受け止めます。

そんなとき、美甘子が「人生はグミ・チョコ遊びと同じだ」と語り始めます。グーで買ったグミ、つまり2歩進み、チョキで買ったらチョコレートなので6歩、という具合に、「グミ・チョコレート・パイン」の要領で歩を進めていく遊びと同じである、と。

自分の出した手が相手を負かすことがあって、でもその手は必ず一番強いわけじゃなくて、負かした相手の手より弱い手で負けたりする。そうして勝ったり負けたりしているうちに、いつの間にかくっきりと勝者と敗者とが分かれてしまう。生きていくってそういうことなんだと美香子は賢三に語りかけます。

賢三は、憧れの存在であった美甘子へ追いつくために、もっと映画を観て、もっと本を読んで、タクオやカワボンとバンドを結成して、チョコレート10連発で美甘子に追いつこう、そう決心するのでした。

そこに、ポルノ映画で知り合ったじーさんの孫、校内ブルマー窃盗犯の山之上も加え、ついにコクボ電気店の2階で、すげーノイズなパンクバンド決起集会が開かれます。互いの主義主張をぶつけ合い、奇人変人の山之内の真意も確認し、ついにバンドを結成することになりました。

明け方、ベロベロに酔っぱらった賢三達&じーさんは、酒の勢いそのままに川沿いにある桜の木で花見を始めます。そこで賢三が不意に手にした青年誌には、美甘子のヌードグラビアが掲載されていました。映画監督にスカウトされ、主演映画が内定しており、映画撮影前に度胸試しで脱いじゃった!…。

賢三は、埋めようもなくなった美甘子との差を、チョコレートの連発で逆転しようと、トコトコ明け方の街へ走り出すのでした。

小説全体の印象

小説前半は、非常に男臭~いむさ苦し~い、自慰行為や女性を性の対象としてみた表現が多発しますので、この手の内容が苦手な人にはきついかもしれない。だけど。これこそがモテない男子学生の考えている脳みその日常でもある(いや、モテる男子学生も大して変わらないのでは、オトコってみんなこんなもんです)。

作者の半自伝的小説になっていますので、実体験なども含んでいるかもしれません。また、『グミ編』でこれといったストーリーの進展がないのに、若い兄ちゃんロックミュージシャンだった大槻ケンヂ氏がこれだけの表現力と妄想をもって、よくここまで書けるなあと感心してしまいます。登場人物のボケの調子も良く、著者が小気味よく突っ込んでいきますしとてもテンポがよい小説です。笑ってキュンキュンして、ほろりと泣けて自分も何か行動したいと思わせてくれる内容ですね。

ちょっとマニアックな、実在の映画やロックバンドの名前も登場しますよ。

大人なら、熱かったあの頃を思い出す

私は本書『グミ・チョコレート・パイン』グミ編を大学生のころに読みました。すでに中高生時期のような、選民思想や反体制の熱い思いなどはなく、なーんとなく就職しなきゃなあ、なんて目前に迫った現実と向き合っていたので、本書主人公たちの熱さがうらやましくもありました

そして、改めて30代後半になって読んでみると、さらに引いた目線で、「うぉ~登場人物みんな青春してるやん!」とトキメキ、「青春に年齢なんて関係ないぞ!」と改めて実生活以外の社会に青春を見出そうとしている自分に気づかされました

「ああそうか気づいた時が誕生日」私が好きな言葉です。何事も遅すぎることなどないのです。気づいた時からやればいいんですよ。今が青春だって堂々と言ったっていいじゃない!と思わせてくれる青春小説です。

オススメの読者層

いやはや、オッサン目線での書評になってしまいましたが、ズキュンと刺さるのは間違いなく中高生。高校生は二年生ぐらいまでがいいと思いますね。まだ大学受験や就職を意識しなくてもよい時期に読まれるのがよいかと。下ネタやお下劣な表現が多いため、その辺の耐性がある方だったら性別は問わず読めるのではないでしょうか。

また、先の通り大人が読んでも楽しめます。青春モノって、意外と青春を過ぎてからの方がいろいろ感じるところが多くあるんじゃないかな。毎日が手ごたえもなく流れていく大人が読むと、熱かったころの自分を思い出させてくれると思いますね

引き続き、『グミ・チョコレート・パイン』チョコ編に続きます。賢三たちのバンドは、美甘子の芸能界デビューは、そして賢三と美甘子の関係はどーなる?

次回書評を乞うご期待!

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